万年虚弱の引きこもり主婦が生まれ変わるまで

虚弱です。難聴です。うつです。パニック障害です。でも元気!!!

書き散らし

私はたぶん寂しいのだと思う。


どんなに恵まれているかわからないのに、どうしてこんなに寂しい苦しい気持ちになってしまうのか分からない。

きっと苦しい寂しい足りないと思い続け、それと同時にああ、申し訳ないと強く思っている。

なんて強欲で怠惰で醜い人間なのだろう。


寂しさを感じる自分が憎い。

本当の孤独の中にある人に失礼だとも思う。

幼稚だなとも思う。


自分が憎い。生きることが苦しい。まだ自分が生きていることが申し訳ない。自分が生きていることのこの罪悪感を言葉で言い表わせない。


着るものがある。

食べるものがある。

自分でお手洗いに行ける。


何がそんなに気に入らないのか分からない。


寝たきりだから?

外出出来ないから?

発作が苦しいから?


寂しい。苦しい。


この世は生きている人のためのものだと思う。

人の死を何度か身近に経験してつくづくそう思った。


そしていま私も生きているはずなのに、何を見ても、何を読んでも、何をしても、自分には関係のないもののような疎外感を感じる。


届かない星に手を延ばすのに疲れた。


電車に乗りたい。苦痛なく。

バスに乗りたい。苦痛なく。

飛行機に乗りたい。苦痛なく。

映画館に行きたい。苦痛なく。

ファミレスに行きたい。苦痛なく。

布団に寝たきり以外の人生を謳歌してみたかった。


何度も何度も何度も何度も挑戦した。

人様にご迷惑を掛けてしまいながら。

1年2年のことじゃない。20年も。


暴露療法も認知行動療法も食事療法もカウンセリングも片っ端から、良いと聞いたものはやってきた。


調子が良いときは対外的なフリなら出来る。

必死で頑張れば。

大丈夫なフリ。

楽しいフリも普通のフリも出来る。

出来てきたと思う。

あまり長い時間はもたないけれど。


いっぱいいっぱいだから、「それでは」と相手の姿が見えないところまで行った瞬間膝からアスファルトに崩れ落ちたりするけれど。

誰か相手に迷惑をかけないためと思えば何とか苦痛を堪えられてきたと思う。

普通の人の日常を苦痛と感じる自分が辛い。


先日昔大好きだった曲の歌詞を久し振りに読んだ。


「後悔していると人生を逃してしまう

或るのは今日という日だけ(意訳)」


この曲は私の希望だった。


私は今も後悔はたぶんしていない。

無能なりに毎日乗り越えたいと思ってきた。

屑でも屑なりに人生を諦めなかった。


ただ、今寂しい、今辛い、今悲しい、自分の病気を受け入れられないだけなのだと思う。


受け入れられるか。


私が何をした?


殴られても強姦されても車から投げ捨てられても近しかった人が自殺しても何もうまくいかなくても頑張ってきたじゃないか。

立ち上がる努力をしてきた。


これでも足りないの?

これでも許しては貰えないの?


普通にカフェで友人とお茶を飲むことを心からリラックスして楽しむとか、そういうことをしてみたいよ。

何故出来ない?

どうして出来ない?

どうして私にだけ出来ない?


みんなあんなに簡単そうにやっているのに。

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